年始め

正月はバンド仲間のゆりこちゃんの旦那さんご家族と過ごす、というレアな体験をさせて頂きました。
理想の大家族といったかんじでした。
年始の一発目はこちらのイベントです。
私は舞踏家でもなく、桂さんとは昨年お会いしたばかりですが、共演させて頂くのは2度目なのです。
今回は北京からのゲストダンサーも来られます。ヤスオさん、伴戸さん、ryotaroさん、そしてはじめましての アパッチ宮原さん、Moccaさん、WS参加者の方々とお会いするのがとても楽しみです。

1.14 (tue) 「桂勘・新春 Post-BUTOH 試演会」
出演
【ダンス】
桂勘
杜 枋(Du YUFANG, 北京)
伴戸チカコ
袋坂ヤスオ
桂勘舞踏ワークショップ参加者
大歳芽里
その他
【音】
ryotaro
アパッチ宮原
Mocca
OPEN 18:30 / START 19:30
adv.1800 yen with 1drink / door 2000 yen with 1drink
@ urbanguild http://www.urbanguild.net/top.html
桂勘 Katsura Kan

讃州寺町生まれ
音楽活動の後、1979年舞踏結社「白虎社」の旗揚げに参画 主宰者大須賀勇・蛭田早苗の指導を受け 「第一次東南アジア舞踏キャラバン1980」を経て1981年退会。
1986年、マルチナショナル・ダンスカンパニー桂勘&サルタンバンク結成
1989年国際舞台芸術の共同制作と研究を目的に オフィス・パラディックス K.(主宰:琴浦香代子)を"開設
以後インドネシア、タイを中心にアジアの現代舞台芸術の研究、共同制作に従事
国際交流基金アセアン文化サンター委託事業など 「京都?アジア」を結ぶ舞踊・演劇の研究・共同制作を2001年まで手掛ける。
2001年以降はバルカン半島、東欧を中心に文化とマイノリティーについて研究 夏にボスニア、セルビア、ギリシャでの舞台製作を継続している。
YouTube動画 「Beckett Butoh Notation 」
http://www.youtube.com/watch?v=QPHkpcyO9CE
現在は舞踏の創始者「土方巽」の「舞踏譜」とサミュエル・ベケットの戯曲を元に 「言語とその生成に由来するメ場モとしての肉体あるいは  その音楽性が変容させる舞台空間の言語化」を 「Beckett Butoh Notation」と名付けて ベケット作品の舞踏譜を展開している。
1982-1984 
京都芸術文化会館にて照明家「船坂義一」氏より 照明技術、デザインの指導を受ける(アートステージプロ所属)
1887-1991 
金剛流シテ方「廣田幸俊」氏に、仕舞、謡いの手ほどきを受ける
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<梅香堂>
http://www.baikado.org/now/
亡くなられた後々田さんにとっても逢いたいです。
昨日会期中の作家さん、下道さんのブログを拝見しました。
「いつもお別れのときは、見えなくなるまで見ていてくれる。」 誰に対してもそうだったんだろうと思います。
梅香堂に行くといつもさりげなく話をきいて下さるので、 後々田さんにしか話さなかったこともありました。
志をもって、実践することを多くは語らずに見せてくれていました。
沢山の書物と黒電話、2階の真ん中にある大きな穴、ロフト式ベット、常備されているような ワイン。帽子の下は優しい目。
橋から灯り見えたら、いはるんだなと思ってのぞくと窓際に座って作業されていることも しばしば。また来客中なことも多くありました。
年に似合わず、業界の一線をしりぞいたようなどこか隠居感を漂わせながらも、 若手発掘の目は確かで、作家を支援するやり方、気持ちがはんぱなかったと思います。
このはなの皆の活動に目を配り、遠くの展示にも必ず顔を出してくれました。
人との距離の取り方がうまく、そしてあたたかいのです。
照れ屋だけれど、「ありがとう」とかいつも伝えてくれていました。
元気がない時も分かりやすくて、隠していませんでした。
後々田さんがいることで、いつも安心感を得ていた気がします。
こんな風に書くと色々でてきます。
ソーシャルを使って書くことにためらいもありますが、 文章化することで内にためていくことも減っていくのかなと思います。
後々田さんの作家の紹介文は、作家についてきちんと調べられていて、 作家となされた対話の記録のような印象でした。
とても丁寧でした。
尊敬できる稀有な存在です。