なんちゃってアフリカンwithナベガンチとお面やさん

京都・静原cafe milletという素敵なところで11月23日、花嵐の伴戸さんに誘われるまま「なんちゃってアフリカン」をやらせて頂きました。ママたちによるイベントで予約は一杯とのこと。ランチが踊ったあとの楽しみで、実際に美味しかったです。なかいあつこさんのお面やさん http://ameblo.jp/atelier-atsuko/entry-11086974787.html で、大人もこどももホクホク顔。車の来場者も次から次へとやってきて、ちょっと押しましたが、こども、お母さん、お父さんと踊ってくださいました。太鼓は2年ぶりに会ったKGCメンバー http://youtu.be/X9UaVPTpvKE じゅんちゃんがいるナベガンチのみなさん。じゅんちゃんは立派なママになっていました。懐かしのソリ、ヤンカディ、マクルの踊りとビンちゃん先生 http://www.vincent-mantsoe.com/vincent-mantsoe.com/Welcome.html のステップをやったりしたので、難しかったと思いますが、みんな汗かくまでやってくださいました。 いい経験させて頂きました。ばんちゃん、みなさん、ありがとうございましたー。

As if 記憶のすきま

 記憶というものは共有することができない。ただそこに居合わせるだけ。呼び寄せるだけ。しあわせでもなく、ふしあわせでもない、めぐりあわせをつなぎ止めようとする頭をわたしはあいにく持ち合わせていなかった。わたしの記憶はすきまだらけだったから、他人の頭にのっかることしかできなかった。それが、今回の作品のスタイルでもあった。糸井宏美ちゃんのアニメーションには、彼女がよく使うモチーフが出てくると言う。水、氷、万華鏡のようなイメージが見える。それに彼女の声を使った音を合わせて、ジェリーさんの即興の音がのっかった。同じ映像を見ているのに、糸井さんがアイスウォールと呼ぶモチーフがカラーになるファンタスティックなシーンは、ジェリーさんにとってはブラックアウトになる前の死へのカウントダウンのような曼荼羅のイメージだった。私にとって激しく動けるような音がいるところには、ゆるやかな時間を感じさせる音と映像があった。誰かと作品を共有すること、記憶という個人的なものをテーマにしたことは改めてそれぞれの時間感覚や、想像が違うということを認識させてくれた。そして、また糸井さんが音を足して前日にプロジェクションをして合わせたら、当日がきた。タイムアウト。展示用の映像は此花に住む12人の記憶。重なる話は台風がきて水没した話。戦争の話。今目にして住んでいる場所は誰か特定の人の場所ではないのだけれど、私の知らなかった土地だった。私の住んでいるところは、誰かのものであったし、きっとその前は人なんていなかった場所。風のようなココロモトナイ石ころのようなものが、ごろごろと転がっていていつかはそれもなくなって整備される。忘れられたら終わりだと、誰かが言ったのが昨日のこと。「生活の基盤があるから、希望が持てるから住んできた。がむしゃらに考えずに生きてきたら、今になった。」映像の中に出てくる一人のおばあちゃんはそう言った。わたしはわたしの記憶を紡いでいく。それだけ。たったそれだけの作業なのに、せつなさがこみあげた今日。
写真撮影 奥中章人さん 1番下の写真撮影 糸井宏美さん          

京都

古いカメラによる光線。 ウーグさん、グザビエさんの来日が重なり、ユマさんのスタジオでパーティがあった。ちまきさん、りょうたろうの飲みっぷりはあざやかだった。

奈良コテンパンダン展





NARA映像コテンパンダン展 in ならまち (奈良アートプロム2011)
2011年秋、ならまちに現代アートのフィールドで活躍する映像作家の作品が一堂に集結。会期は2011年9月17日(土)、18日(日)、19日(祝)の3日間。
http://nara-art-prom.tumblr.com/tagged/映像コテンパンダン
私は18日にアーティストトークなるものをさせて頂いて、19日は会場をまわりました。エプソンの波場さんのアートプロジェクションについての話を聴いたあとに、まちが巨大なスクリーンになって映像がうつっているのを見たらワクワクしました。そんなまちで踊れたら最高です。
今回は奥中章人くん(http://world-akihito-info.blogspot.com)と奥中くんのご家族にお世話になりました。色々なアーティストさんが泊まったことがあるようで、すごいウェルカムな人達で癒されました。そして浄瑠璃寺の九体阿弥陀如来像の人間くさいこと。どきっとして向かい合うかんじでした。
今回の映像祭は奈良のまちを歩くという楽しみと、色々なアーティストさんに会うという楽しみのあとに、林勇気さんと最近繋がりができた、Sonir(SJQ) さん、 rimacona さん、omoidemaigoさん、DJ Tatsuyaさん(night cruising)のめっちゃ良いライブがあって、満喫して帰ってきました。会場のsample white roomも良かったです。関西に帰ってきて、人と人の繋がりの濃さに驚くばかりで、こっから先も繋がっていきたい方に出会えるのは嬉しい限りです。
それから、コテンパンダン展のスタッフの方々に作品を見てくれた方が探してたよーとか、こう言ってはったよーとか聞いたりして、会えなかった人でもちゃんと見てもらったんだなーと思うとじんわりしました。マダガスカルのダンサー、ナセールの踊りはぜひ色んな人に見てもらいたかったので、椿井小学校とカイナラタクシー綿町ビルの2カ所で上映してもらったことはありがたいことでした。
スタッフのみなさん、本当にありがとうございました。のむらさん、つかやまさん、ありがとうございます。
また、マダガスカルに連れていってくれた花嵐のにいちゃん、ばんちゃん、Dance&Peopleの五島さん、ありがとうございます。http://blog.canpan.info/d_a_p/archive/225
http://www.tcn.zaq.ne.jp/hanaarashi/Welcome.html

そして、人から伝えきいたのですがブログに書いてくださった小吹さん、ありがとうございます。
http://blog.livedoor.jp/artkobujime/archives/1827457.html
また機会があれば、こういうイベントに参加したいと思います。

NARA映像コテンパンダン展2011


「I see you」
マダガスカルで出会ったダンサー、ナセールへのインタビューと即興のダンス映像。視覚障害を持ちながらも、彼女が繰り出す動きには、自由で純粋な美しさが宿り、鑑賞者の目を釘付けにする。ナセールの動きと作者の視線がシンクロナイズする一瞬を、ダンサーでもある作者自身が見逃していない。今回の公募展入賞作品。

NARA映像コテンパンダン展2011 in ならまち
http://nara-art-prom.tumblr.com/
関連イベントアーティストトークx交流会 開催決定!

日時:2011年9月18日(日) 16:00 - 22:00
会場:ウェンブリークラウン(イングリッシュパブ)   〒630-8222 奈良県奈良市餅飯殿町14 西村ビル2F (オーケスト広場の道を挟んで向かい)    0742(26)7741
入場料:1000円(1drink付き)出入り自由

16:30 -17:15 公募展入賞作家受賞式

入賞作家:伊藤友里、大歳芽里、三田村龍伸、トーマス 敬称略

17:30 - 18:45 プチデバ ー企業とアート、それぞれの報告と提言ー

ゲストに波場康徳氏(セイコーエプソン株式会社 TFT事業企画部主査)と出展作家から、木村真由美氏、土屋貴史氏を迎えてお話を聞きます。 内容はプロジェクターを製造販売する企業側の意識とアーティストなど使う側の意識や要望の重なる部分、すれ違う部分を浮き彫りにします。映像作品上映もあります。

19:00 - 21:00 ざっくばらんにアーティストトーク

出演:稲垣智子、金子遊、擬態美術協会、村上慧、やまもとひさよ 敬称略

出展作家がお酒片手に自由に自作を語ってくれます。飛び入り大歓迎。

22:00:終了
会場となる、ウェンブリークラウンは老舗のイングリッシュパブ です。世界各国のビールが味わえます♪

会場詳細はwebmapをご覧下さい。

会場HP http://www.rak1.jp/one/user/thwembleycrown/

DANCE & PEOPLEにも載せてもらっています。ありがとうございます!!!!
http://blog.canpan.info/d_a_p/archive/221

詩人と音楽とわたし

他のことは全部棚上げにして、蜂飼耳というキテレツな名の詩人の詩を高らかに唄おう。
詩においては、散文で、意味の薄弱さを胸に抱きながら、言葉のへりを味わう。注意深く読んでいないと、彼女の詩にある生は逃げてしまう。透明度のある世界に足を踏み入れる時は、逃げ場をつくることが許されない。それは一種の予感に近く、時々迷いこんでしまう世界だ。

 はじめて出会った蜂飼耳の「雨乞い」について記す。雨雲を追いかけて移動しつづける飛べないミューという鳥の話。「いろいろ選べるようでいて、選べない。選んだつもりでも、実際にはなにも選んでいない。雨雲ほどにも目には見えないなにものかに導かれて、どんどん流れていくのだ」。この刹那感は原作 田辺聖子の「ジョゼと虎と魚たち」が映画化され渡辺あやの脚本によって足されたF.サガンの「一年ののち」の一文にも近い。

「いつかあなたはあの男を愛さなくなるだろう」と
ベルナールはジョゼに言う。
「そして、いつかぼくもまたあなたを愛さなくなるだろう」とベルナールは続ける。
ジョゼは、「ええ、わかっているわ」と言う。

詩であろうが音楽であろうが、何か秘密を共有してるかのごとく感じさせるものがある。詩は私的なものである方が、気になる。蜂飼耳はかく言う。
私にとって、言葉は常に個人的なものだ、という要素がはずせないものとしてあります。それは一人一人体験が違うということで、例えばソシュールなどが言っていることとつながってくると思いますが、一つの言葉に対してそれぞれ違う体験を積み重ねている。あるいは積み重ねてしまってもいる。それを交換して、どういうふうに意味が通じ合っていくのかということに興味があります。通じないと思うんです。コミュニケーションは不可能だ、と思っているんです。日本列島に住んでいて日本語で生きていれば、日本語を使っているから通じ合えるんだということではないはずです。だけど日常の社会においては、言葉の表層では交換し合っているから理解し合える。しかし実はわかり合えないというか、微妙にずれている。微妙なずれが、表層での理解に阻まれて見えないし、いつも押し隠されていると思います。理解が逆に阻むんです。私はそのずれの方が気になって、たとえこの話がいま相手に通じたと思っても、やはりそこでこぼれ落ちたものがある、と感じて、言い表しきれない、伝えきれないと思います。そのあたりの不安や疑いが、一つの単語を漢字にするか仮名にするかという文中での選択に押し出されてくる、ということはあります。

これは限りなく、文字稼ぎに引用したにすぎないが、この個人的想いを削る方が難しいし不自然だと思う。私は文字化された文章を見たとたんに、走り読みをスタートする。音楽を聞いている自分の耳を私は疑っているし、左から右へ受動して流される現象を止めたいと思う。脳は全てを記録せず、都合よくまたは都合悪くも記憶を操作する。

話は変わるが、このフォントはOsakaというらしい。Macの大阪支社の社員がつくったりしたのだろうか。どうでも良い話だが、詩においてもデザイン的字面によって構成されているのもある。それは音の配列を見ているようで、謎解きのようで細胞の配列を間違って並べたようにも見えまいか。

さて、蜂飼耳に戻ろう。蜂飼耳は中原中也賞を「いまにもうるおっていく陣地」によって受賞している。これから先引用する詩をエロス目線で見てみよう。
「もしいま心に空虚があるとすれば、それは何かを譲り受けるため、誰かが潜り込んでくれるための空間だと思った。」
「おとこたちは射精を夢みて
 ひるも よるも ながれのなかに
 そのただなかに
 らじお・たいそうを放つのだ

少女たちはやわらかい腹に
うまれながらの石を抱えるため
あおく まつげまで あおく 染まって
羊歯がほごける
雑音のささくれに
そのまんなかに うずくまる」

なんとなくの憂いと湿っぽさが女性らしいと思う。吉本ばななの本の中にも穴についての話があった。相対的に身体はかくように出来ていて、現代においてそれはパーツとして見なされ取り外したり付け替えたりも出来る。蜂飼耳は人が道を歩いて他の生物に食われないことが不思議だと言っている。人が人を襲ったりすることの方が路上では多いだろう。人は野蛮であることを忘れてはいけない。雑音は日常の中に潜んでいるのだから。

東京の騒音と大阪の騒音を目をつぶって聞き比べたら、どちらか判るだろうか。蜂飼耳は「偶然と奇跡の瞬間」の中で志賀直哉の小説を引用している。
「直角に交わる十字路を、バスは西から東へ。クマは南から北へ。その瞬間、クマに気づいたのは奇跡的なことだった。気づいて、娘が「クマだ」と叫ぶまでは、わずか三秒ほど。「十字路での三秒のチャンスは偶然というにしてはあまりに偶然すぎる。私は次のような計算をしてみた。一日が八万六千四百秒、一週間は六十万四千八百秒。それを私達がクマの発見に費やした三秒で割ってみると二十万千六百。つまりそれは二十万千六百分の一のチャンスだったわけである」

クマは犬の名前であり、この時点でややこしい。めったにない偶然を人はセレンディピティと呼び、
盲亀浮木と呼ぶ。100年に1度、大海の底にいる盲亀が波の上に浮かびあがる際に、たまたま流れ着いた浮木の穴から頭を出すという話である。志賀直哉のわかりにくい話に蜂飼耳はこう付け加える。
「妙な例かもしれないが、一円玉を二十万六千八百個置いて、それから、その一つを選び出せといはれても、それは全く不可能だらう。ところがさういふことが実際に起こったのだ」
起こったのだと言われたら、もはや信じるしかない。最後は詩人とリスナーの信頼関係につきる。

ただただに詩人は自分を消し去るすべも、立ち現れるすべももっているにもかかわらず、無頼化している。音楽家も同じだと思える。読み取る側は沸き上がる現象を、雲をつかむかのように手を差し伸べて傍観するのだ。そして、詩と音にまみれ、拮抗し、息づかい荒く、たちうちまわる。毒のようなものを蜂飼耳は飼っているに違いない。言葉の羅列に身をまかせている内に時間はすぎていく。たまに会うくらいがちょうど良い塩梅だろう。溺れる蠅は雲をもつかめまい。詩も音楽も溺れた者は迷路に迷うように抜け出せなくなり、時間に取り残される。




5月の半ばから仕事に区切りがついて、東北、マダガスカル、東京と行って落ち着く間がなかった。そいて、また留学時代の先生が来るというので東京に行く予定でいる。東北は、友人2人と5日間(2日移動、車泊)たこ焼き器とペンキを積んで何が出来るかわからないまま行った。仙台メディアテークで甲斐さんにお会いして、南三陸の災害FMの立ち上げと牡鹿半島の映像を撮ってきた。折浜でたこ焼きを食べてもらって、石巻では東京から来た美術の学生さんらと会って話した。今は編集している最中。
 マダガスカルは、京都の舞踏グループの花嵐の伴戸さん、にいさんと向こうの視覚障害のある人達とダンサーとのワークショップ、ショーイングを行なう内容だった。アシスタントとして行ったけれど、フランス語をもっと勉強しとけば良かったと思うことが多かった。途中、お腹も壊したけれど、(久々にバタンと倒れた)行って良かった。ダンスをやったことがない人がほとんどの割にはよく動くし、話す。そして、動きもものすごく動く。感想も面白くて、例えば「酸っぱいレモンになるイメージ」をやった後は、レモンは嫌いだ。チョコレートの方がいい。なぜなら、自分の生活も酸っぱいから、とか。帰りのトランジットでタイのバンコクに1日弱滞在し、にいちゃんの友達のお家でタイ式マッサージを受けたり、巨大仏像を見たり、美術館に行ったり、ご飯を食べたりした。9日に京都の東山活動センターでマダガスカル報告会をする予定。
 東京はうってかわってアートラウンジという企画に参加した。関東と関西の若手女性作家がキャバ嬢に扮し、イベントを行なう内容。1週間の内、六本木のバーの2階のスペースで展示をしていて、クロージングで短いショーイングをした。展示は今回初の写真と映像。お客さんが口コミだけだったので、少なかったのが残念だった。
 これからが、また新たな道のり。
写真はマダガスカルとタイ。
 

Photos from live in Osaka, April





【 sind/さ 】

#27th [wed] Aplil 2011
@ club STOMP [ Osaka ]

GUEST LIVE:
PsyEx

LIVE:
s l o n n o n + sonsen gocha bacco
meri otoshi+yuriko kikuchi
DJコラーゲン
kawabe motoyuki
RHy-s

FOOD
フレジャ・ペハ

photos by 糸魚さん

film and live info



My film 'Hello World!'will show on 29 April 2011, 13:30, The Bluecoat, Liverpool http://www.movementonscreen.org.uk/search/programme/?short=82490&id=82989

I'll dance at Stomp ,Osaka
4/27(WED)18:00-1500yen 1d
GUEST LIVE:
PsyEx

LIVE:
slonnon+sonsen gocha bacco
meri otoshi+yuriko kikuchi
DJコラーゲン
kawabe motoyuki
RHy-s

FOOD
フレジャ・ペハ
http://club-stomp.com/2011/03/sindさ/

Past film show in Iran 'Mahtab' by Mohamad Abbasi
http://www.limitedaccessfestival.com/

Photos
live in Urbanguild in Kyoto
2011.3.23.
2011.3.31
http://www.urbanguild.net/live/live.frame.html

2011.3.11

3.11 過ぎて大阪での生活はガス、水、トイレットペーパーも変わらず売っていて停電もない生活です。直後それでも周りの人をみると、精神的に弱っていたから自分もきていたと思う。東京から大阪に避難してくる人達にも何人かあって、思ったよりも大丈夫そうだという印象だったけれどその後余震が何回かあった。私は大阪で仕事をし、ライブをし、花見などイベントに参加して暮らしてる。新居に3月から住み始めてまだまだ不動産屋さん、大家さん、電気屋さん、ガス屋さん、ネット屋さんなどと話を進めながらのかんじだけれど、慣れてきた。料理ができて、お風呂に入れて、プライベート部屋がある生活は前の生活がやっぱり落ち着いてなかったことを自覚させる。必要なのはお金もあったけれど、自分の状況をわかってくれる人だったかもしれない。カップルを端から見ていると、パートナーのことを一番理解しているのは自分だと思っている人がいてせつなそうにみえる。自分の世界枠の中で生活している自分がいるのは確かだけれど、人と住み始めて新しい人に出会うことで幅が広がればと思う。こないだ、もんじゅの原発も地震がある日本では爆弾を抱えているようなものだという原発反対のデモが大阪であった。東京電力の下請け会社に勤めている人は放射線限度量を超えてしまう為1分しか作業出来ないという。1分を超えると命が危ないのに、作業はある。落差のある日々。

Osaka Canvas Project おおさかカンヴァス





3月12日から大阪府によるミュージアム構想の1つであるおおさかカンヴァスプロジェクトの展示が一般公開される。私はそのスタッフの一人。ウェブ班、PR班、現場スタッフとして関わっているんだけれど、街中アート、芸術祭というものが一体なんなのか、まだ全然わからない。周りのスタッフは水都大阪、瀬戸内国際芸術祭、越後妻有など芸術祭に関わってきている人達もいて話を聞いてると面白い。まだまだこれから。
おおさかカンヴァス http://osaka-canvas.jp/

Pour l'amour de Dieu : 神に愛を込めて



私がアンジェ、フランスにいた時に知り合った古市牧子さん
今はナント美術学校に在籍してはります。ほんとにアクティブな活動っぷりに驚かされるばかり。
そして、最近彼女から映像が送られてきました。
アンジェで住んでた家の傍にあった教会。他にも行ってみたけれど、ここに入った時にとても静かで
人が一人しかいなくて撮影がはじまっても人がいなかった。そんなこともあるのかなってくらい。
前にまきこちゃんが、ナントの教会で撮影した映像を見た時は神の前で踊るってことが自然な行為なんだなと
思ったんだけどいざ自分が踊るとなるとよくわからなくて目をつぶってた。
捧げるとかそういうこと云々の前に、自分が宗教と結びつく以前に無心になれればいいと思ってた。
映像で見ると確かに私で今見ると距離があるのだけれど、この時にここでまきこちゃんに誘ってもらって
良かったなと思います。

konohana,osaka 此花 大阪


















ある人が私をおおさかカンヴァス推進事業という大阪府のアートプロジェクトを紹介してくれて、
またそこから縁あって梅香のお試し暮らしなるものをさせてもらっている。
その日から明日で2週間。もうすぐ自分の誕生日も迎える予定だ。
顔馴染みが出来ていいところだとは思っていたけれど、こんなに早くに
実現するとは思わなかった此花生活。はじめての日は玄関のドアを開けて見える景色に驚いた。
それから此花メジア、梅香堂、黒目画廊、フロートといった空間だけでなく、ラムーやライフといった
スーパーやオープンしたての王将、四貫島中央通商店街、銭湯、住吉神社、梅香公園、
此花区民ホールといったローカルな場所も通ったりして裏道も少し分かるようになってきた。
大好きなたこ焼き、くにちゃんのお好み焼き、たいやきと粉ものの誘惑にも負ける。
そしていかにも下町といった野菜屋、ケーキ屋、肉屋、豆腐屋、ケアハウスなどの前に座ってしゃべってる人達。部活の帰りにコロッケを買う女子高生、店から走ってでてくる小さい子、ケージにはいってクンクン言ってる犬、警戒深い野良猫、鳩の家族。
もはや外国にきたかのように新鮮でまたタイムトリップしてしまった感。新世界よりはもっと身近にありすぎてアニメの「四畳半」のように日常と異空間が入り交じったというのに近い。梅香堂のオーナーが世界でも類をみない場所ではないかと言ってたのが分かる気がしている。ここで生まれ育っていたら、こんな風には思わないだろうけれど私には川と倉庫があって、なおかつ住宅があり
アートな人達がいる一風変わった場所に思える。東京に10年いたけれど、あまり下町にはどっぷり浸かれなかったので大阪という土地に頓着してみたい気がしている。
今日は森巣橋を渡り建設中の阪神を見て此花区伝法に鎮座する鴉宮に辿り着いた。よく考えれば後厄ではあるなと思い、立ち寄ってみると国指定の特別有形文化財と書いてあった。此花区に残る最も古い伝記には順徳天皇の御代は傳母頭(もりす)神社だったが、豊臣秀吉が日本海へ渡航の際祈願に来たら、航海の安全守護他、瑞禅を告げる三足の鴉が現れその後無事帰還したことから改名したらしい。そして境内は独立した島であったとの話もあるらしく、此花おもしろトレイルルートに記載されている所は色々辿ってみたくなる。
屋上や橋から見た川を船に乗って大阪湾まで行ってみたい。
そしてこんな風に今見ている景色がいつまでも色眼鏡で楽しめればと思うこの頃。

ライブ【 sind /さ 】


【 sind /さ 】

1月26日に大阪Club STOMPにてライブします。
菊池さんとのライブはこれで2回目です。
即興なんではたまたどうなるだろうかー。
ノイズ系イベントなんで、声出ししております。
レアライブです。

(場所)
大阪市東心斎橋1-13-32宝ビルB1F http://club-stomp.com/access/
TEL/FAX 06-6245-0889

#26 [wed] Jan 2010
@ club STOMP [ Osaka ]

18:00-23:00
ADV/1500YEN 1D

Live ::
s l o n n o n + sonsen gocha bacco
meri otoshi + kikuchi yuriko
motoyuki kawabe
RHy-s(depth)

Food ::
駄菓子屋小学生

おおさかカンヴァス推進事業 Osaka canvas project

Using Osaka prefecture as a working canvas, artists are asked to submit project ideas.
Of these, ten will be chosen to be exhibited in public. Any type of art project will be considered: not only painting, but sculpture, performance art, events, special projects, and workshops, too.
To create and discover new potential and fascination of Osaka by allowing artists to use Osaka prefecture as their exhibition space.
大阪のまち全体をアーティストの発表の場として「カンヴァス」に見立て、アーティストが制作したい作品と場所について
アイデアを募集、集まったアイデアの中から10作品程度を選考して作品を発表していただきます。
絵画(ペインティング)だけでなく、彫刻やオブジェ、パフォーマンス、イベント、プロジェクト、ワークショップなど、
あらゆる分野のアート作品を対象とします。

Through the collaboration between artists and public spaces, local resources within the prefecture are rediscovered and redefined in a distinctive manner.

大阪のまちをアーティストの発表の場として活用し、新たな都市魅力を創造・発信します。
アートと公共空間のコラボレーションを通じて府内の地域資源を発掘、再発見し、際立たせ発信します。

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