essaisとex.e.r.ceがマスターコースへ


来年度から私がいる振付コースはマスターが取得出来るコース(2年制予定)に変わります。
私達は6月末で終了し、次期は来年度秋頃開始予定です。来年度春頃オーディション予定だと思われますが、今年度冬期には情報が得られると思うので、随時CNDCのホームページをチェックして下さい。
 またモンペリエのex.e.r.ce http://www.mathildemonnier.com/en/ もマスターコースに変わるそうです。

本当に日が長くなって、夏が来たかんじがする。昨日はデイビットさんという学校のスケジュール、内容を決めたりしてくれている人の送別会と自分達の卒業で芸術監督やコーチの人達との話し合いの後ピクニックだった。学校がある劇場のすぐそばに自然が広がっている。せっかくの話す機会だったけれど、気づけば子供達と遊んで食べてあっという間。人に興味を抱かない男の子が人と関わるきっかけを学校に作ってほしかったという話から人とどう関わるのかについて議論。ブラインドデートのような軽いミーティングだけでは、お互いのことは知り得ない。最後になって何かが欠けている気がするのだろう。ただ、私はそれを個人が選んできた結果だと思っている。ただ一緒に過ごした日々の中で切り取ってきた時間はそれぞれ違うから、相手が感じたことを否定する気にはならない。本当に真実は人の数だけある。Jiddu Krishnamurti who was a writer, speaker on philosophical and spiritual issues said :

''There must be freedom to observe, not some ideological freedom but freedom from the very knowledge and experience which has been acquired yesterday.

You cannot learn by accumulating knowledge, as life is new all the time. This is a very difficult aspect to see - that all knowledge, even from past experiences, must end so that one can see a new in the present. The accumulator is the self, and the self is the antithesis of learning. To learn, the state of mind has to be in a position where it doesn't know, where it demands to find out. All the past is a burden that holds back this state of mind. ''

photos of presentation in FRAC, carquefou






Photos by Vaida Budreviciute
Her website is http://www.emuart.lt
Emilie, Mohamad and I(in photos)
Merci Vaida-

anchorage


今は1年半の日々を振り返ってのレポートと格闘中。去年書いたメモを発見。文になってるのとなってないのがあり、内容暗し。あらゆる意味で空腹だった自分が透けて見える。

「言葉に出来ないことをダンスにするのではなくて、人には目に見えてないものを観ているからそれを人に見せるのかもしれない。
ただ魅せようとしないで、あるがままの方が美しい。
幻を観ることの無限と残酷さ。
死は漂っている。合間を抜けるように 生がある。
自分が生きているからこそ 幻も生きる。
自分の中に他者の生がある。
理想という形のないものを他に求めること自体、ありもしないのに
いつか枠に収まって幻を形にしている。
頭で考えるから答えが見つからないのではなく、考えるからこそ
別の道が見えてくる。
ただ求めていたものは偶然に出逢うことが多々。
ファンタジーの中に現実の姿が見つかる。
矛盾 対極 そこを行き来して、果てと想っているものにまた出逢う。
白々といた空 乾燥した大地に突如現れる、幻の存在の何かを信じて
歩みを進める。
ピストルで水をかけられるなら 裕福。
幸せであると 幻を見る人に言う その狭量。
この世は不思議なリズムで満ちている。
人生をどんな時でも立ち止まらず進むという
いい加減の哀愁がある。」